2024年07月14日

梅雨の晴れ間・午後散歩

 こちら関東南部でも梅雨ではあるが今のところ災害級の豪雨にはなっていないようだ。午前中にやや降っていた雨も午後にはやみ、晴れ間が出てきた。エアコンの効いている部屋から出て散歩に出かけた。その途端にものすごい蒸し暑さに包まれた。体調は相変わらず下半身の痛みで杖なしには不安で歩けないが、少しは散歩して気分を紛らわせたい。
 コンデジを持っていつも歩く道をスケッチして回る。それにしても蒸し暑い。水筒を持って来なかったので、途中の自販機でスポーツ飲料を手に入れる。それを近くの公園で飲む。晴れ間になって子どもを連れて遊びに来ている家族連れや私を含む高齢者の姿がある。花がらが切られずに残されたアジサイがまだあちこちにある。何だか哀れであるが、枯れゆくその姿に美しさもあるので、敢えて残す場合もあるようだ。
 すっかり汗びっしょりになって帰宅し、着換えてさっぱりする。水に氷を放り込んでぐっと飲む。ビールは夕飯までがまんだ。蒸し暑いこの時期、しばらく続くこの日常も何とか生きているあかしだ。明日も汗を掻こう。(PowerShot G7X2)

 トランプ前アメリカ大統領が日本時間の今朝ほど(現地13日夕方)狙撃され負傷した。共和党の次期大統領候補として選挙演説中のできごとだった。すでに言い尽くされているが、民主主義国家で政治的に主張の異なる人間の口を暴力で封じることは許されない。
 それにしてもアメリカという国は大統領や大統領候補者の暗殺・暗殺未遂事件が多い。アメリカの銃の所持が簡単にできる異常社会が生んだ悲劇のひとつだろう。特にトランプ氏は銃規制に反対する人物なので、皮肉な結果ではある。これで彼が再び大統領になっても、銃規制強化を実行するこはまずないはずだ。むしろ、銃にはもっと銃で守るべき、とするとんでもない方向にいくだろう。
 アメリカは、自由で開かれた国で能力と機会さえあれば巨万の富を得られる夢の国のはずである。しかし、持てる者と持たざる者との極端な貧富の差が広がり、アメリカ的民主主義は幻想になりつつある。今や中国やロシアも資本主義経済の導入で貧富の格差が著しく、その他新興国も含めて、人類が正しい世界に向かっているとはとても思えない。
 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのハマス・パレスチナへの執拗な攻撃などは、暴力の連鎖と繰り返しを生むばかりで、人類の破滅を助長させる行為でしかない。なぜ踏みとどまり、もっと話し合うことができないのか。暗い未来社会しか見えてこない。それこそシンギュラリティ「技術的特異点」を超えた人工知能AIが機械を操り、人間の行動を制限し、支配するSF映画で描かれる未来社会しか、人類の末路には残されていないのかもしれない。繰り返される人間たちの暴力を見ていると、全く暗くなるばかりの世の中である。

午後の公園、空には青空が見えていた

このお宅のアジサイは午前の雨も受けてまだみずみずしい

サルスベリが咲き出していた
長い夏が始まるしるしだ

空き家の前には庭木の柿の実が落ちたままになっている

さすがにこのアジサイはもう来年のために剪定した方がいい

産婦人科病院の一部
デザインはいいが、ちょっとチープで手入れが悪い

ほんとに小さなケーキ屋さんががんばって店を続けている

教会のアジサイも枯れてきた

古い店舗兼アパートは住む人はいないようだ

空き店舗となった元ラーメン店のドアに残るビールのポスター

いつも寄る公園の花壇には季節の花が寄せ植えされている

その公園の由来を記した看板も読みにくくなった

「酒」の文字が薄くなってきた元酒屋の空き店舗

立派だったこのお宅のアジサイもそろそろ終わりだが、これも美しい

ふと前を見やるとと電柱と電線が混み合っているのが日本らしいと思った

梅雨晴れ間 汗ぬぐいても 汗に汗
アメリカよ 自由と銃を はき違い