2024年07月21日

若き日々の残骸

 学校も夏休みに入り、連日の猛暑で洗濯物はよく乾きありがたいが、のんびり散歩することもできない。ほぼ災害級の暑さである。化石燃料をバンバン使った電気で冷房をほぼ一日中つけ、必要最低限以外は外出しない。温暖化に抵抗する姿勢と熱中症にかからないためのジレンマの自己矛盾の中で自分の命を優先するしかない。
 こんなときは、外出して撮影など危険きわまりないため、例によって部屋の中でのブツ撮りである。このたび古い絵や写真のパネルを従前保管してあった場所が使えなくなったので、取り出しにくい別の場所に移すことになった。これを機会にそれらを撮影しておくことにしたのだ。しまってしまえば、もう二度と直接目に触れることはないであろう20歳くらいのころの作品だ。ほぼ50年が経過したのだった。
 「作品」と呼べるほどのものではない恥ずかしき若き日々の残骸、残滓であるが、捨てがたいのでとりあえずは取っておくという、断捨離も中途半端な意志薄弱の整理整頓となりそうだ。それにしても暑い。(SONY a7RM3)

10年前実家の家が建て替えられるとき見つかった私の絵や写真
それを受け取り我が家の押し入れに入れておいたが手狭となった


1975年作「自画像(ゴッホが忘れられないので)」油彩 F6(410mm×330mm)
若いころってゴッホに影響されるものだ

1975年作「自画像(20歳のころ)」油彩 F8(455mm×380mm)
自己流で適当に思うがままに描いていたと思う

1977年作「眼のある風景」アクリル絵具 F10(530mm×455mm)
シュールなものに憧れていたときもあった
稚拙で恥ずかしいかぎりだ

若き日の たぎる思いを 絵に残し
だんだんに 消えゆくのみの 若き日々