2024年09月06日

長月上旬・夏時々秋

 台風も去り、9月になって少しは平安が取り戻されつつあるかと思えば、今日はほぼ猛暑日だ。テレビ報道がもたらした「令和の米騒動」もやや落ち着きつつある。米も野菜も値上がりしてしまったが、供給されておりテレビの煽りほどではない。
 テレビというのは、映像でスーパーの棚から米がすっかりなくなった様子を流すような無責任な煽り報道で、一般庶民のパニック買いを引き起こすことを何度も繰り返してきた。
 映像というインパクトのあるイメージは人々に誤った行動を取らせる安易な手段だ。ヒトラー時代のナチス宣伝相のゲッペルスがいち早くその効果を見抜いていた。庶民はいかに虚像であっても真実と見なしてしまう扇動されやすい群衆かを、知り尽くしていた。
 スーパーに米がないという単眼的で一時的な事実と、必要な米は確実に供給できるという真実が、ごちゃまぜになり人々を扇動することになっている。テレビは今回の騒動に大いなる責任があり、その対策を講じて報道するべきだ。でなければ、ゲッペルスと同じレベルの扇動宣伝係にすぎない。
 今朝は朝焼けの美しさに見とれてしまった。朝は少し涼しかったが、次第に夏の暑さを取り戻してくるかのような陽気だった。洗濯物はよく乾いていいが、もうこの暑さにはそろそろご遠慮願いたいものだ。
 午前中に少し離れたスーパーに行き、妻が買い物している間に散歩した。ときどき行く個人宅だった敷地が寄贈されて公園になった場所だ。寄贈された方は昭和25年に病弱な妻を思い緑豊かなこの地に移り住んだ。林間都市構想が戦争で頓挫したこの地は別荘地のようなものだった。広い敷地には木々が茂り、心静かに夫妻はここで暮らしたのだろう。
 
 午後のあるときに、市内に住む友人が訪ねてきてくれた。例年、この時期になると自宅でとれたカボスなどを届けてくれる。今回もたくさんのシークワーサーとカボス、それと2種類のジャガイモをいただいた。野菜づくりにいろいろ挑戦しているようで、リタイア後も元気に過ごしているのがうれしい。
 かつては若気の至りをさんざんともにした友と、年年歳歳、こうしてつながっていることをしあわせに思う古希間近なじいさんである。(PowerShot G7X2,SONY a7RM3)

早目に目覚め、ベランダに出て魅力的な朝焼けに出会う

隣り駅近くの個人宅だった公園

敷地を地元の市に寄贈した夫婦の像がある

公園内には何故か女性の像がいくつかある

公園になる以前はもっと木々が多く茂っていたのを覚えている

メタセコイアの大木がある

初物のどんぐりか

見上げると空は葉っぱに覆われている
それがいい

竹垣の向こうに茶室がある

苔むす庭の飛び石もいい

公園近くの駐車場にあった車のワッペン

メイン通り

自宅から夏と秋の混じった空

今シーズン最後の冷やし中華を妻が作ってくれた

午後、友人が持ってきてくれたカボスとシークワーサー

長月の 暑さ残りて 汗を拭き
緑なす 公園におり 息を吐く
友来たる ありがたきかな その思い
炭酸に シークワーサー 絞り飲む