|
関東南部ではあるが、この時期はやはり寒い。真冬なのだ。しかし、小さい子どものころに比べれば今の冬はさほど寒くはない。庭は霜柱が立ち、草木には霜が降り、土間に置いたバケツの水は凍っていた。暖房といえば、炭や練炭の掘り炬燵と火鉢だけだった。冬は寒く、何もかも凍てつくのは当たり前だった。朝に湯たんぽのぬるくなったお湯を洗面器に注いで顔を洗えるときはうれしかった。そして、朝日が昇り、手のひらを広げて温かくなるのがしあわせだった。それでも吐く息が白いままであったが。
そんな時代を経験した私などは現代の電気やガスで快適な冬を過ごすのは贅沢極まりないと思ってしまう。しかし、自分自身はもう後戻りはできないが、昨日30年を迎えた阪神淡路大震災や14年前の東日本大震災、そして昨年の能登半島地震など寒さが厳しいころであり、被災された方々は電気もガスもない時間を過ごさねばならぬこともあり、こうした経験や記憶も忘れてはならないだろう。
21世紀も四半世紀を迎えた2025年は、AIやインターネットを始めとするさまざまなデジタル技術が超高速で進化し、これまで考えられなかったことが実現していく。しかし、人間という動物の本来の能力は退化していくのも確実だろう。運動能力や生命維持能力はおろか思考能力も劣化しつつある。1年で1日でいいから、スマホやパソコンも使わない、完全な「アナログ生活の日」を設けてみてはどうか。案外いろいろなことが若い人たちにも見えてくるものがあるはずだ。
今日はいつもより長く遠くへ散歩してみた。といっても近所には違いないのだが、2本のウォーキングポールを使ってゆっくりと歩く。座って休憩するポイントでは5分以内とし、なるべく長く歩くことにする。真夏の暑さよりも真冬の寒さの方が耐えることができる。腰の痛みは続いてはいるが、やや筋力もついてきたのか、耐えられた気がする。まだまだ遠出は先のようだが、少しづつ進歩していきたい。自分の体と心はアナログのままだから。(PowerShot
G7X2) |
|
葉を落とした桜の木と鉄塔 |
高圧電線の鉄塔が好きだ |
近くにクロガネモチの赤い実がびっしりなっていた |
子どもたちの遊び場は賑やかだ |
公園の近くに市営住宅がある |
別の公園にはロウバイが咲いていた |
常緑樹が多いのでここは緑が目立つ |
散歩途中、畑があり覗くと菜の花が咲いていた
明るい黄色がうれしい |
よく歩いたこの通りも様子が変わってしまった
1年ちょっと前、開発が始まっていた
3年前少し前は芝畑とドウダンツツジの垣根が馴染んでいた |
真冬とて なんのこれしき 喰いしばり
今はただ 便利豊かの 不自由さ
|
|
|
|