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桜が終わってからは、撮影も気が抜けているようだ。最低限の健康維持のため、相変わらずご近所ばかりの散歩である。先日近くの公園で藤の花が咲いているのに気がついたので、今日はコンデジを持って散歩に出た。
最近では植木など庭のある古くからの家が取り壊され、小さくなった家は駐車場スペースがコンクリート打ちされて土など見えない。近所を巡っても季節ごとに咲く花を見る楽しみも減ってきた。それでも多少なりとも庭のある家も残っているので、花盛りの季節に散歩するのはいいものだ。(PowerShot
G7X2)
バチカンでは先日亡くなったローマ教皇の葬儀が行われている。トランプやゼレンスキー大統領らも列席し、弔問外交を繰り広げているようだ。いい成果があればいいが、無理な話だろう。
世界の宗教というものは、本来人々の病める心を癒し、無駄な争いをなくすためのものであったはずだ。しかし、どの宗教も結局はより多くの人々を支配し、自分たちの権力・権益を拡大するための道具でしかなかった。それが証拠にいまだに世界各地で戦争や紛争があり、そこに暮らす人々は悲しみに明け暮れている。神も仏もないのである。
ローマ教皇がすべての宗教を受け入れ、世界に平和と安寧をもたらすのであればとっくに実現していなければならない。人間というものは、所詮は強欲で自分本位であることを捨てられないのだろう。もし、それらを捨てられるとしたら人間である必要もなくなってしまう、という矛盾となる。厄介なのは、そんな矛盾する人の心なのであろう。
コンクラーベという次の教皇選びでは権力に強欲な聖職者たちが血眼になる。救いなき人の心の哀れなるかな。 |
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近くの公園では藤が満開である
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普段は気がつかない藤棚に藤が咲くと存在に改めて気がつく
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親子連れの家族がのんびりとしている
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ある邸宅の茶室の脇からシャクナゲが道端にはみ出して咲いていた
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砂利を敷いただけの駐車場にはタンポポの綿毛が盛りだ
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毎日のように行くスーパーの一画はツツジが咲き誇っている
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多少つぼみもあるがほぼ満開だ
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クレマチスが柵からはみ出して咲いている
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このお宅もよく咲いている
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この家のツツジの生垣も見事だ
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深紅のバラをよく咲かせている
手入れしているおばあさんの姿を最近見かけなくなった
藤棚に 風誘いて 仰ぎ見る
咲き誇り 歩みしばしば 停めて居り
罪深き 為政者たちの 葬列かな
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