◆横浜の新港埠頭は、その昔、三菱倉庫と呼ばれた赤レンガ倉庫に象徴される海外との物流の拠点であった。私が写真を撮りに行きはじめた1976年当時は、新港埠頭がその機能を維持していた最後の時期になると思う。とりわけ、赤レンガ倉庫は多少の荷物の保管場所にはなっていたが、役割は倉庫から映画やコマーシャル、そして、私たちアマチュアカメラマンの被写体として変わっていっていた。現在の赤レンガ倉庫の背後の公園になっている岸壁には、当時、まだ外国船籍の貨物船が着岸して荷を降ろしをしたりしていた。その作業に関連する港湾労働者も働いていた。さらに昔には、氷川丸などの客船がここから発着していたそうで、引込み線は人と貨物を岸壁間近まで運ぶことができた。
◆そんなかつての新港埠頭や赤レンガ倉庫の面影を記録的な意味合いでここに紹介しておきます。ただ、埠頭や倉庫に関する詳しい資料等は、公表されているホームページ以外には調査していないので、逆にご存知の方がいらっしゃれば、記録として残しておきたいので、ご連絡いただけるとうれしいですね。
  2002年5月6日(2010年10月14日最終更新)


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1976年 カラー

1976年 モノクロ

1979年 モノクロ


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