K氏の素敵な生活
☆K氏のこと

 ●愛知県の出身で東京の大学を卒業してから、東京でいくつかの仕事をしたが、カメラマンとしての期間が一番長かったのだろう。もっともK氏は今でもカメラマンではある。特に辞めたわけではないので・・・。その仕事の関係で知り合った三味線奏者との出会いから高知を訪ねることとなり、ときどき東京から訪ねてきていたが、野菜や米をこの自然の中で作ってみたいという気持ちが高まり、この地に住み着くことになった。 ここで十二年、それ以前に五年、K氏は大きな自然の中で試行錯誤を繰り返しながら、そして、ご近所の「オンチャン」たちに助けられながら、自分と向かい合い、生きること、暮らすということを真正面に受け止めながら生きてきた。田んぼで稲作をやるようになってからは、「田んぼ通信」という写真と文を載せた冊子を発行し、自らの活動を記録している。 しかし、そろそろ転機を迎えている。子どもたちが高校に通うようになれば、ここから通うことは難しくなる。今、中学校へ行っている長男へは、教育委員会からタクシー代が支給され、バス停以後の道のりをタクシーで通っているわけだ。長女が高校に行くときが、この生活を捨てるときになるかもしれない。 奥さんは東京の出身で同じくこの自然の中で生きることを夫であるK氏とは別方向から求めてきて、K氏と出会った。 三人の子どもの両親は、自分で生きかたを決めることができた。しかし、生まれてきた子どもたちは、親の世界でとりあえず生きていくしかない。いつかこの子たちは、K氏や母に感謝はしつつも離れていくときが来るのだろう。 そんな淋しさをどこかに抱きつつ、日々の農作業に追われるK氏の今日このごろである。
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