2009

鳩山政権、落日見えた
2009/12/16(水)
 この言葉の散歩道も年末にあたり、今年のシメのキーワードで終わろうとしたが、今の状況を表す、ピタっとくる単語が見当たらないので、今回は文節にしてしまった。
 このところの鳩山首相のさまざまな状況を観察していると、この人はもう総理大臣を辞める腹積もりができているのではないか、と思う。所詮は「裕福な家庭に生まれ育った」ことが、鳩山政権を強固なものにできない根本の原因だったことになる。
 決定的だと思った出来事は、小沢民主党幹事長が記者会見で、中国の国家副主席の来日に伴う天皇との会見のルールについて、宮内庁長官を「辞表を出してからものを言え」と恫喝したことだ。この記者会見で小沢さんは、「君は、日本国憲法を読んでいるか」「何とかという宮内庁の役人がどうだこうだ言ったそうだけれども」などと記者や宮内庁のことを頭ごなしにバカにした物言いだった。もの凄くいやなものを見てしまった不快感が湧き起こると同時に、これで民主党も凋落への道を辿るのだろう、と確信した。しかも、鳩山さんは、その後、長官の発言について「ひじょうに不快感を覚えます」などと強く言っている。最近、母親からの資金提供問題で声が小さくなっていたが、今日はまるで「虎の威を借る狐」のごとき態度だ。虎とは、小沢幹事長のこと。小沢さんも幹事長として、党の掌握に専念し、表立った政治的な動きは控えていたのだろうけど、最近の鳩山さんや内閣全体の不甲斐なさに業を煮やし、「政治家というのは、こういう風にやるものだ!」と見得を切り、鳩山さんたちに見せたのではないか。誠に痛ましい光景だ。

 さて、改めて、民主党政権の何が問題なのかを挙げてみよう。

 一番の問題は、野党時代に政権についた際の基本的な国政運営の方針をつくっていなかったことだ。影の内閣は結局何の役にも立たなかった。これは驚愕に値することだ。当初、「国家戦略局」が新設されるとの話に多少興味が湧いたが、結局、何の機能もしていない。菅直人副総理兼国家戦略担当大臣は、仕事をしていない。「国家戦略」と標榜する以上は、当然に野党時代に、何十年も先の日本のあるべき姿を描き、それに基づいた各部署の時系列的な基本政策を具体化したものを持っていなければならなかった。それを、党幹部が常に頭に浮かべることができる最上級の重要項目としての共通認識を持っているはずだった。特に、外交上、問題となる日米同盟や中国との関係など、自民党とどう違うのか、どう同じなのかを明確に説明できるようにしておく必要があった。しかし、民主党はこれらを含め、一切何も考えていなかった!。党幹部の考えはまとまっていなかった。これは、とてつもなく恐ろしい話である。初めて政権ににつくのだから多少の戸惑いはあっても、基本方針、基本政策を持っていない政権などありえないことだ。なので、民主党はいったい何を目指しているのか、未だに国民には理解できないままでいる。選挙時のマニフェストは単なる「選挙対策」であって、国家の具体的方向性を示す政策集ではない。「友愛」という言葉や「コンクリートから人へ」では、何もわからない。だから具体的に何をやりたいのだ、と国民は苛立ってくる。
 二番目の問題として、参議院での過半数も確保するために、社民党、国民新党と連立を組んでしまったこと。所詮、基本的な考えの違う社民党、そして、亀井静香のような陋習人間がいるような党とは、徒党は組めないはずだ。また、国民の大多数は、民主党政権を支持したのであり、社民党や国民新党との連立までを支持したわけではない。そういう意味では、「国民目線」からかけ離れた党利党略でしかない。そして、結局は、その両党に振り回され、鳩山さんの声は小さくなる一方だ。最初の国会で「あなたがた(自民党)に言われたくない!」と声高に普天間問題などについて答弁していた雄雄しき姿は、はや、遠い過去の話のようだ。閣外協力の範囲で収めるべきであった。後の祭りということ。
 三番目には、やはり、内閣総理大臣としての鳩山さんのリーダーシップの欠如だ。最後に決断するのは私だ、と言いつつ、結局は結論を先送りし、何ひとつ決断していないことだ。このお金持ちのお坊ちゃんには、所詮、荷が重すぎた。
 主に以上のことから、普天間問題、事業仕分け、環境税導入、たばこ消費税値上げ、これらに伴う補正予算に来年度予算策定、郵政民営化問題の行方などなど、何ひとつ明確な答えや方向性は出すことができていない。なぜ、そうしたいのか、の説明や根本理念が見えなくては、国民は、地方は、何をどうしたらいいのか、途方にくれてしまう。
 しかし、こんな政権を圧倒的に支持したのは、ついこの間までの国民である。国民は、大きな負の遺産を背負うことになってしまった。このことは、日本にとって取り返しのつかない選択をしてしまったことになる。泣くのは常に国民である。  

国民目線
2009/11/7(土)
 民主党による政権交代がなされ、鳩山由紀夫内閣が発足して、2ケ月近くが経過し、国会で論戦も始まっている。日本郵政会社の新社長に元官僚を起用したり、地元の声を聞かずダム建設の中止を発表したりと、「脱官僚」や「国民目線」を標榜する鳩山内閣としては、いきなり危ういスタートである。献金問題や自分の所得申告に関しても歯切れは悪くなっている。
 ところで、この「国民目線」とはいったい何をもって、国民目線と言っているのだろう。「国民目線による年金問題の解決」「国民目線の政治を貫く」「国民目線に立ったあり方で議論する」などなど国民目線の大安売りである。「上から目線」という言葉を鳩山さんは、麻生元首相に国会で以前浴びせかけていたが、その裏返しである一般庶民感覚に基づいたごく当たり前の常識的な判断のことを国民目線と言っているのだろうか。確かに、一般庶民感覚からかけ離れてしまった政治家には、国民の実際の暮らしぶりや思いなど知るよしもないだろう。そいういう意味で、大金持ちの鳩山さんが、日々の暮らしに四苦八苦している国民の立場を思いやって政治を行っていくという姿勢には一応の評価はしておきたい。
 しかし、その「国民目線」もどこかで「施しをしてやる」という「上から目線」が見えてくる。国民は、目先の施しばかりを当てにして生きているばかりではないことも知っておくべきであろう。政治は、今後何十年という深謀遠慮に立った国政運営を図っていくべきだということも決して忘れるべきではない。一般庶民が今の暮らしを何とか楽にしたい、という感覚とは違うところで、「国民目線」とは異なる大きな「国家目線」で国政のことを考えなければならない。国民もその両方を望んでいるわけだから。
 国民の気持ちが、民主党政権に対する「不安」が「不満」に変わっていっている今の状況を、しっかりと受け止めて、国としての基軸を明確に示し、揺るぎない信頼感を得られるようすばやい動きを見せてほしい。

オリンピック招致
2009/10/3(土)
 日本時間10月3日になった深夜、デンマークのコペンハーゲンで開催された2016年夏季オリンピックの開催都市の決定会議で、最終的にブラジルのリオデジャネイロが選ばれた。国際オリンピック委員会(IOC)総会は、シカゴや東京、マドリードでもなく、南米で初の開催となるリオデジャネイロを決定した。犯罪が多発して治安が問題視されるなど課題は山積しているが、これからの発展が大いに期待される開発途上の国を選んだことは、賢明な選択だろう。
 ところで、IOCとはいったい何者なのだろう。近代オリンピックを主催する国際的な民間団体のひとつに過ぎない。東京都のオリンピック招致活動費は、150億円とも200億円とも言われ、他国の立候補都市もそれなりの多額の招致活動費を使っているはずだ。そんな多額の税金を使わせたIOCは、なぜそんなに「偉い」のか。オリンピック招致が、その都市と国の経済活動を大いに活発化させ、さまざまな都市基盤整備を実現する大義名分になることは確かだ。最終選考会の総会以前にも、IOC委員が現地視察をしているが、東京都は国賓を迎えるような厚い待遇と気の遣いようだった。それをさも当然のごとく受け入れているIOC委員は、なんの違和感も感じないのだろうか。一般庶民感覚からすれば、完全にずれている。各都市にそんな多額な費用をかけさせずに、もっと合理的に候補地を決定できるシステムを考えたらどうなのか。オリンピックを経済発展と国威発揚の場としていく限りは、こんな馬鹿げた祭りが繰り返されるのだろう。
 たとえば、オリンピック発祥の地であるギリシャのアテネで永久開催とするか、あるいは、IOCを解散し、国連でオリンピックの開催地を決定する方式にすれば、意味のない招致活動はなくなるうえ、IOCへの法外な放送権料を支払う必要もなくなるのではないか。石原都知事も喜寿を迎えたことだし、もう、東京都を引っかき回すのはやめて、勇退していただきたい。オリンピックが純粋にスポーツの祭典であることを忘れずにいてほしいものだ。もし、そんな大事なことがどこかに忘れ去られているようであれば、オリンピックは廃止してしまった方がましである。

謝罪会見
2009/09/18(金)
 9月17日、覚醒剤所持と使用容疑で逮捕、起訴されたタレント酒井法子が40日ぶりに勾留先の警察署から保釈された。同日、都内ホテルで多数の報道陣の前で「謝罪会見」を行った。自分の弱さから薬物に手を出し、多くのファンや関係者を失望させ、迷惑かけたことを謝罪した。報道陣の数は500人にも上る注目の謝罪会見であった。
 こういう芸能人の不祥事やさまざまな企業の偽装や欠陥商品販売、倒産に関わる「謝罪会見」なるものが、やたらテレビの前で行われている。なぜ、こんな「イベント」が日本では行われているのだろうか。アメリカやヨーロッパで何かの謝罪会見が行われた場面を見たことも聞いたこともない。欧米ではすべてを裁判で決着させるものだから、それ以前に不用意に不特定多数の人々に謝罪することなど発想にない、というのが一般的な考えであろう。日本であったとしても同じなはずだ。しかし、日本人独特の倫理観や社会正義のようなものが、言わば「恥の文化」が、こうした「かたち」を選択したいのだろうか。
 謝罪会見は、謝罪したい人と報道する機関、そして、視聴者がいて成立する。謝罪したい人は、自分らが犯した不祥事を詫びることで、今後の再生に向けて有利に働くことや、不祥事の罪の重さを少しでも軽減される効果を期待しているのだろう。心から詫びるかどうかは、あまり問題ではないはずだ。それはタレントばかりではなく、企業のトップもここ一番の演技の見せどころで、テレビの向こうにいる大衆をその瞬間だけ、納得させればいいだけの話だ。その後、大衆は忘れていくので、そのときの印象さえ、良ければいいのだ。山一證券が破綻したときの野澤社長の「社員は悪くありません。すべて私が悪いのです。」と号泣した記者会見が印象に残っている。いったい彼は、カメラの前で誰に対して謝罪し、何について泣いたのであろうか。
 よくよく考えると、こうした謝罪会見ほど無意味なものはない。テレビを見ている一般人は、謝罪している人とはほとんど何の関係もない。心から詫びたい相手はちゃんといるはずだから、謝罪したい人は、謝罪を受けるべき人のところへ行って、直接謝罪するのが筋というものだろう。実際には、その前後に直接謝罪に行っている例もあろうが、テレビというメディアが存在するから、こうした謝罪会見が成立するのであり、テレビがなければ、誰もこんなみっともないことはやりたくないはずだ。
 とすると、テレビはなぜこんな茶番劇のような幼稚で見え透いた芝居を大々的に報道する必要があるのだろうか。報道の使命?社会正義?ほんとうに、そんなもので動いているのであろうか。テレビであれば視聴率、新聞雑誌であれば講読数のアップを優先して報道しているにすぎない、としか思えない。つまり、どっちもどっち。本人、テレビ、視聴者それぞれがお祭り騒ぎがしたいだけで、真の報道の姿など微塵もないのだ。
 日本人の熱しやすく冷めやすい、この非論理的な体質は、真の民主主義を実践していく理想からはほど遠い。戦後64年しか経っていない日本では、民主主義とされるものが根付くには、まだ相当の年数を要するようだ。民主党政権が、多少なりともそれを推し進めてくれれば幸いだが。

鳩山由紀夫内閣総理大臣
2009/09/16(水)
 ついに民主党の鳩山由紀夫代表が、9月16日に召集された国会で衆議院及び参議院で第93代内閣総理大臣に選出され、戦後初めて、野党が過半数を得ての「政権交代」が実現された。「身震いするような感激と、大変重い責任を負った」とメモを見ることなどなく、謙虚で真摯な態度で語る様子には好感が持てた。しかし、一般国民は、「期待と不安が半分半分」というのが本当のところ。「試行錯誤の中で、失敗することがあるかもしれないが、寛容してほしい」という発言は正直といえば正直だが、何とも不安を抱かせるものだ。国民は、新政府の実験に振り回されることになるのだろうか。真に、この日本という国がより良く変わろうとしているのか、見極めるには時間がかかる。
 しかし、昨年のリーマンショックから1年が経過し、麻生政権で実施した景気対策も功を奏したとは言えず、雇用と経済の回復はほど遠い。特に中小企業は壊滅的打撃を受けている。まずは、短期的に速効性のある景気対策と雇用対策を年内に目に見えるかたちで実施してもらいたい。国家戦略局を核とする政策は、中長期的展望に基づくもののはずなので、野党の時代から影の内閣で充分に練ってきたものがあるはずだ。それを実現させればいい。もし、その中身がなかったら、たいへんなことになる。「友愛」の精神を、具体的な政策と予算化によって、国民の前に示してほしい。「官僚に頼らない、政治主導の政権運営」が政策実現のスピードの妨げにならぬよう、さっさと政治主導を確立させ、新政権に変わってよかったと早く実感させてほしい。国民は、そう長くは待っていられない。
 一方、民主党からの攻撃と自ら招いた災いによって、木っ端微塵になってしまった自民党にも、影の内閣をつくって、次の政権交代に備えてほしい。現在の状況では、総選挙大敗北の後遺症が、重苦しく漂っており、ほとんど思考停止状態のようだ。「派閥解消には反対」とする古賀氏のような存在が自民党にいる限り、自民党の復活はさらに遠いものになっている。
 日本国民は、鳩山総理に、すべてを託してしまったのだ。国民も覚悟を決めて、この国のゆくえを見守り、厳しいチェックをしていきたい。

政権交代
2009/07/30(木)
 麻生内閣総理大臣は、異例の衆議院の「解散予告」を7月13日に公表し、21日に解散した。総選挙は、8月18日公示、8月30日選挙、という運びになった。今回の衆議院総選挙は、小泉首相の引退後、安倍、福田、麻生と1年足らずの首相交代が続き、自民党政権に対する国民の嫌気が蓄積されてきた中で、早々に選挙を有利に実施するために、麻生太郎が自民党の「顔」として選ばれたはずだった。しかし、結果は自民党の思惑とは反し、100年に一度という「未曾有」の金融経済危機に見舞われたことや本人の低レベルな失言や言い間違いなど含め、有利に解散するタイミングを逸してしまった。麻生内閣の支持率は当初49%だったが、16%にまで下落した。今回の解散は、9月の任期前のぎりぎりのタイミングで賭けに打って出た感じだ。
 民主党は、小沢元代表の政治献金スキャンダルを何とか凌ぎ、鳩山代表のもとに、自民党に対して「政権交代」を迫っている状況だ。鳩山代表も「故人献金」の問題がある中だが、強気に攻めている。民主党は、自民党よりも早く、マニフェストを7月27日に公表したが、内容は「ばらまき」との批判も多く、また、地方分権について考慮されていないなどとタレント知事らに突付かれ、公示日までに改訂版を出すなどというていたらくだ。
 凋落し、雲散霧消しそうな自民党、頼むに足りない民主党。 さて、我々、一般の国民は、誰に、どこに、日本の将来を託すのが最善だと判断したらよいのか? 国民には、今の政治体制の中でしか、選択できないのか? 自民党も民主党も目先の選挙に勝利することのみばかりにあくせくとし、真に国民の福祉向上に貢献したいという、本来の使命感を失っている。おそらくは、民主党がこの選挙では勝利し、政権交代があるかもしれないが、その命は長くはないはずだ。「その国の政治はその国の民度に比例する」と言われるが、国民は明らかに、自民党も民主党をも信用していない。たった一度のチャンスを民主党は、どう生かすのか、我々は厳しく見ている。我々には選択肢が少なく、苦慮するところだが、今回の選挙は、「国の民度」を上げる選挙になればいいと思う。

2009/08/31(月)追記
 8月30日に行われた衆議院総選挙は、民主党の308議席獲得という圧倒的勝利と、自民党の300議席から119議席に転落する大敗北の歴史的な結果になった。自民党は結党以来継続してきた第1党の座を民主党に譲り渡した。ここに民主党による「政権交代」は現実のものとなった。しかし、新人100人を超える民主党の勝利は、いわば勝ち過ぎ、であって自民党と入れ替わったに過ぎない。4年前の「郵政民営化選挙」の小泉旋風と同じで、日本国民はそのときのムードに乗りやすい未熟で危うい短絡的思考の民族だ。今回の選挙では、勢力拮抗する2大政党制の良さが実現できず、○か×かの単純な構図になってしまった。民主党による一方的な支配が10年や20年続くことになるかもしれない。自民党の単独支配の弊害が50年余かかって証明されたが、民主党のそれは何年かかるのだろう。とにかく、「日本国民は民主党を選択してしまった」のだ。どんな「政治主導の、官僚まかせにしない」国政運営を見せてくれるのか、国民は民主党を厳しく見守ってほしい。
 しかし、巨大政党は必ず派閥化し、内部分裂を生じていくはずだ。それは火を見るより明らかで、官僚たちはじっとそのときを待ち、自分たちに実質権力が戻ることを心待ちにすることになろう。そして、あまりの大勝利に、何より行く末を心配しているのは、民主党の鳩山さんや小沢さん自身であろう。勝利の美酒に酔っている暇はない。スピードと誤りない判断・決断の連続がこれから求められる。そして、確実に実行する政治力を見せねばならない。民主党を選択した国民は、その結果を厳密にチェックし、「民度」を上げることを怠ってはいけない。

フェーズ6
2009/05/19(火)
 前回のWordsでは、「パンデミック」を取り上げ、世界経済恐慌と重ね合わせ、比喩としたが、4月下旬からメキシコで蔓延し始めた「豚インフルエンザ」が、免疫のない「新型インフルエンザ(H1N1型)」として、パンデミックが目前の現実のものとして出現した。
 WHO(世界保健機構)は、当初メキシコで発生している状況では、フェーズ3(人から人への感染が限定的)とした。  フェーズ(Phase)は、「段階」を意味し、WHOは、世界にパンデミックの脅威の深刻さとより事前の対応計画や活動実施の必要性について知らせるための警報として、次の6つのフェーズを用いている。
 フェーズ1(前パンデミック期):ヒトから未検出のインフルエンザウイルスのうち、ヒトに感染する可能性のあるもの。
 フェーズ2(前パンデミック期):ヒトに感染するリスクが高まったもの。
 フェーズ3(パンデミックアラート期):ヒトへの感染が確認されたものの、ヒトからヒトへの感染が基本的にないもの。
 フェーズ4(パンデミックアラート期):ヒトからヒトへの感染が確認されたが、感染集団が小さく限られているもの。
 フェーズ5(パンデミックアラート期):より大きな集団発生が見られ、パンデミック発生のリスクが大きくなったもの。
 フェーズ6(パンデミック期):いわゆるパンデミック。世界的に大流行となっている状況。フェーズ6が収まると、後パンデミック期となり、パンデミック発生前の状態に急速に回復している状況となる。 (ネットの用語集から引用)
 その後、メキシコでの感染者や死者の増加、アメリカでの感染者出現などを受け、4月28日には、WHOはフェーズ4とした。そして、4月30日には、13カ国176人に感染者が拡大すると、フェーズ5のパンデミック(感染爆発フェーズ6)の一歩手前に達した。
 日本では、5月1日深夜、舛添厚生労働大臣が記者会見し、国内で初めて新型インフルエンザに感染した疑いがあるカナダから帰国した横浜市の男子生徒の患者が見つかったと発表した。この段階から感染患者のいる外国から入国した際の水際の防疫態勢を強化し始めた。
 横浜の男子生徒は新型インフルエンザに感染していないことがわかったが、8日アメリカから成田空港に到着した大阪府の教員生徒3人が新型インフルエンザに感染していることがわかり、国内初の感染者発生となった。その後世界各国で感染者は増加し、5月12日では34カ国で感染者5275人死者61人となった。
 さらに、日本では5月16日神戸で海外渡航歴のない男性が新型インフルエンザに感染していることがわかった。これに端を発し、兵庫県、大阪府で渡航歴のない感染者が日を追うごとに増加し、5月19日午後2時現在の感染者数は、175人に達した。世界での感染者数は41カ国約9800人とされている。
 WHOでは、世界的に拡大しつつある新型インフルエンザの状況だが、歴史的な不況下でさらなる経済の停滞などを恐れ、最高警戒レベルのフェーズ6を受け入れがたい各国の思惑を配慮し、フェーズ6の段階へ移行することに躊躇している。
 この新型インフルエンザは、現在進行中の状況であり、この秋から冬にかけてもっと大流行するか、または、現在のウィルスは弱毒性とされ、通常の季節性インフルエンザと同様の処置を行えば、生命に危険はないが、ウィルスが変異を繰り返し、強毒性となった場合、WHOが従前から危惧する世界中で死者が続出する事態もありうるので、注視していたい。

2009/06/12(金)追記
 WHOは6月11日、新型インフルエンザの警戒レベルをついに「フェーズ6」に引き上げ、世界的に人から人への感染が持続しているとする「パンデミック」を宣言した。現在、南半球が冬の時期であり、オーストラリア1307人、チリ1694人の感染者が出ており、この状況が宣言のきっかけとなった。感染者数は、6月10日朝で世界75の国と地域で2万7737人に達している。日本でも感染者は継続的に増え、500人を超えている。ただ、WHOでは過剰反応しないよう、渡航・貿易制限や国境閉鎖はすべきではないとしている。死者は世界で141人となっている。
 現在のところ、強毒性に変異した報告はないが、未だ世界的に拡大し続けている状況からその可能性は否定できない。日本の厚生労働省でも対策は検討済みなのかもしれないが、このところの「喉元過ぎれば・・・」の日本の風潮が気になる。舛添大臣が狼狽した様子で記者会見を開いた5月1日のとき以上に事態は深刻化しているのに、国もマスコミの報道も熱が冷めたようで、街でマスクをする人も少なくなった。パニックにならないのは結構なことだが、次の危機が確実に迫っていることを忘れてはならない。テレビで放映していた政府広報で麻生総理の「冷静な対応を・・・」の言葉が妙な安心感を与えてしまったようだ。改めて、現在の感染拡大の危機的情況を直視しなければならい。
 これまでのインフルエンザ・パンデミックは、スペイン風邪(1918年発生、感染者6億人(日本2300万人)、死者4000万人(日本38万人))、アジア風邪(1957年発生、感染者数不明(日本300万人)、死者200万人(日本5700人))、香港風邪(1968年発生、感染者数不明、死者100万人、日本データ不明)となっている。

2009/08/02(日)追記
 ときどきデータを掲載することにする。
  2009/07/31現在「感染症情報センター」による新型インフルエンザ(ブタ)の感染者数
   日本:4986人(死者0人)・・・主な多発地:大阪府963人、神奈川県432人、愛知県403人、兵庫県369人、福岡県298人
   世界:13万4503人(死者816人)・・・主な多発地:アメリカ地域8万7965人(死者707人)、 西太平洋地域 2万1577人(死者30人)、ヨーロッパ地域 1万6556人(死者34人)

2009/08/15(土)追記
 8月15日、沖縄県で人工透析を受けていて、心臓病もある57歳の男性が、新型インフルエンザに感染して死亡した。日本国内で新型インフルエンザでの死者は初めてだ。
 この夏は、新型インフルエンザの感染者が加速度的に増加している。季節性インフルエンザであれば、夏は終息している時期に増えているということは、まもなく秋から冬を迎える日本では、新型インフルエンザがさらに爆発的に発症する確率が高くなっている。夏休み期間の帰省などで感染が、全国へさらに拡大することも指摘されている。

2009/08/29(土)追記
 新型インフルエンザは、すでに爆発的に感染が広がっている。国立感染症研究所感染症情報センターでは、この爆発的な広がりから患者数の全数報告を中止し、代わって、全国約5000箇所の定点医療機関の報告数として、1医療機関当たりで1週間に受診した患者数が1を超えた場合に流行開始の目安とした。
 これによると、2009年第34週(8月17日〜23日)では、定点報告数は全国で2.47人(患者報告数1万1636人)となった。定点医療機関以外を含めて推計すると、この1週間で約15万人のインフルエンザ患者が、全医療機関で受診していたことになる。
 都道府県別で多い順 沖縄県(46.31)、埼玉県(2.94)、神奈川県(2.85)、福井県(2.84)、徳島県(2.84)、大阪府(2.81)、千葉県(2.65)、東京都(2.64)、滋賀県(2.54)、京都府(2.46)  北海道、富山県、和歌山県、岡山県、広島県を除く42都府県で定点当たり報告数が1.00を超えている。
 沖縄がずば抜けて多いが、沖縄では平成17年ごろから夏に季節性インフルエンザが流行しており、原因は温暖化などが言われているが不明だ。
 厚生労働省の推計では、季節性インフルエンザの2倍にあたる国民の2割が発症すると想定し、約38万人が入院し、約3万8千人が重症になり、ピーク時には1日に約76万人が発症する見込みをたてている。ピークは9月下旬から10月にかけてと見られている。
 新型インフルエンザで死亡した患者数は、7人に達した。

パンデミック
2009/02/18(水)
 現在の社会を象徴する言葉は何だろうと考えていた。全世界の金融システムや経済システムが崩壊しようとしており、今まさに、世界大恐慌突入前夜の様相を呈し、人々は恐怖と不安のどん底にいるときである。今の世界は、インターネットを始めとする高度情報社会にあって、世界の隅々までネットワークで繋がっている。そして、何か影響力のある情報が発信されると、株価や為替は、世界各国でリアルタイムに激しく変動する。この危機が爆発的に一気に広まっていく状況は、まさしく新型インフルエンザなどの感染爆発を意味する「パンデミック」そのものである。すでに、世界は、というより、地球は、破滅に向かってのパンデミック状態に入っているのではないか。
 1年前と今と、いや、半年前と今とでは雲泥の差のある急激な景気の後退と雇用不安の社会になってしまっている。誰しもがそうあってほしくはないと思っている最悪のシナリオに向かって、一直線に進んでいる。オバマ大統領に託された使命は、現代の人間たちの生き方にケジメをつけるため、「世界をリセットする」ことにあるのではないか、と悲観的なことを考えてしまう。オバマは最善を尽くそうと必死に努力する姿を見せるが、彼が意識する、しないに関わらず、結局は、経済政策を失敗させてしまう。そして、自ずと世界が保護貿易主義に走り、過激なナショナリズムが台頭していく先は、大恐慌から戦争へと導かれ、ついに、この最終戦争は、地球上の人類を破滅させてしまうことになる。地球に悪害となる人類を破滅させることによってのみしか、地球を救うことができない地球自身の自浄作用がそうさせるのだ、とそこまで極端に想像してしまう。これが世界をリセットする意味だ。生き残ったわずかな人類は、初めて身に染みて、気がつくかもしれない。何千年と繰り返してきた戦争の愚かさ、科学や文明の力で自然を征服しようとした傲慢さ、自分だけでは到底食べられない多くの食物(モノ)や使い切れない金を手にした強欲さ、そして、結局は、異なる考えを排除しようとする心の貧しさに。
 この絶望のどん底に転落する直前の崖っぷちの前で、我々に必要なのは、想像する力だ。人類を破滅にまで追い詰めることになる現状の問題点の根本を、遠くを見つめながら、洗い出すことだ。今は絶望の淵にあっても、遠回りすることになっても、ゆっくりと確実に新たな人類として立ち直ることを一人ひとりの心に誓うしかない。   

バラク・オバマ
2009/01/21(水)
 第44代アメリカ合衆国大統領に建国233年以来初の黒人の大統領、バラク・オバマが就任した。
 アメリカ大統領選挙のシステムは、せっかちな我々日本人には複雑で長い時間がかかる理解しがたいものだ。今回の大統領選挙が行われている間、サブプライムローン問題が2007年7月に具体的な株価急落となって顕在化し、2008年10月、投資銀行リーマンブラザーズの破綻が世界的な金融危機を誘発した。そして現在に至るまで、世界恐慌に向かって全世界の景気は悪化の一途を辿り、今まさに資本主義的経済システムが新興国を巻き込み、破局を迎えるような逼迫した状況がある。ブッシュ前大統領が、戦争しか能がなく、的確で素早い経済措置を2007年に打つことができず、現在を迎えてしまったこともオバマにとっては、不遇な面もあるが、景気が後退していく中で、ディベートで相手をおとしめるような選挙戦を見ていると、こんな悠長なことをやっている場合なのかと、この危機の震源のアメリカに対して憤りを感じたものだ。しかし、アメリカ国民は「こういう時だからこそ、じっくりと真のリーダーを選択したい。」という意識があった。アメリカ国民自身が育んできたアメリカの民主主義を国民はこよなく愛し、誇りに思っているのであろう。
 そして、オバマ大統領が誕生した。大統領就任を祝うためにワシントンの会場には200万人もの人々が集まった。これほど熱狂と期待に満ちた大統領就任式はかつてなかったかもしれない。オバマ大統領に負わされた課題は幅広く、重いものばかりだ。ブッシュが始めてしまったイラク戦争をどう終結させるのか、イスラエルのガザ侵攻も頭が痛い。そして何より経済政策は、即効性と継続性が求められる。全世界といってもいい人々が、黒い肌を持ったこのアメリカのリーダーこそがアメリカばかりでなく、新しい世界の明日を切り開くことができる、と期待し祈っている、そう思いたい。素晴らしい演説はこのくらいにして、直ちに実務に執りかかってほしい。
 一方、日本には、よくも悪くも小泉純一郎というリーダーの後には、新たなリーダーが存在していず、ただいたずらに無益な時間を浪費し、国内の経済を窮地に追い込んでいる。日本の政治には期待せず、オバマ大統領がこれからどう行動し、いかに評価されるかを注目していきたい。
 ただ、大統領の「新たな責任の時代」という言葉が気になった。これは、アメリカ国民に求めていることは当然だが、麻生首相が「日米同盟を一層強化し・・・」などと呑気なコメントをしていたが、「新たな責任の時代」とは、日本へのメッセージでもあると思える。つまり、アメリカがいつまでも日本の世話をしないという意思表示でもあり、軍事面、経済面で大きな負担を強いられることが予想される。いずれにしても、今日からのオバマを見ていたい。    

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