2015

慰安婦問題
2015/12/31(木)
 暮れも押し迫った12月28日、日韓両政府は「従軍慰安婦」に関する問題で合意し、決着したと伝えられた。安倍首相が電話でパククネ大統領に「心からおわびと反省の気持ち」を伝えたという。日本政府が10億円を拠出し、韓国政府が設立する財団が運営し、元慰安婦への事業に充てるとした。これで日韓の政治的決着がついたことになり、その点はこれまでのこう着状態に比べれば、格段の進歩ではあるが、どうにも、しっくり来ない。
 案の定、元慰安婦、支援者たちは、自分たちは蚊帳の外とされ、今回の日韓両政府の強引な決着に不満を爆発させた 。本人たちへの安倍首相による直接の謝罪や法的な措置をあくまで求めているのだ。それは、本人たちにすれば、至極当然の要求であろう。今回の日韓合意は、 政府間だけの話であり、慰安婦問題がすっかり解決したわけではないからだ。アメリカからの圧力や日韓経済界からの要請も大きかったはずであり、パククネ大統領が大きな譲歩を強いられたと見るのが妥当であろう。
 安倍首相は元々、慰安婦は「強制的に」させられたものではないから大きな問題ではない、という偏った歴史認識だ。その点が心の底にあるので、どんな表面的な詫びの言葉を電話で並べ立てようと、安倍さんは平然としていられるのだと思う。心からの気持ちがないのが透けて見えるため、真の解決は永遠に来ない。それ故、互いに妥協の政治決着しかなく、日本政府側に若干の勝利感をもたらしただけであろう。これからは韓国政府と元慰安婦たちとの問題にすり替えることにしてしまったのだ。日本国民も安倍さんが韓国の国民に謝る姿を見ることができなくなったのは、ある意味で不幸なことであろう。日本人は年を越せば、この件も忘れてしまうだろう、という首相の読みもあるはずだ。いずこの国も最終的に悲 しみや苦しみを受け止めるのは、その国民でしかない。この慰安婦問題は、まだまだ続くことになるのは間違いない。

安保法案成立
2015/09/19(土)
 時間だけは費やした中味もなく、国民の理解も得られない不毛な国会での議論を終結させ、与党、自民党及び公明党は一部の野党を取り込み、安保法案を9月17日、参議院特別委員会で大混乱の中、真珠湾よろしく奇襲作戦によって、強行採決をしてしまった。そして、本会議が始まり、時間制限された法案反対、賛成討論の末、19日午前2時過ぎ、賛成多数で法案は成立した。これで、正式な法律として、ひとり歩きを始める。われわれ一般国民も安倍さんも肌身で理解していない、自衛隊が海外の戦場で敵と称する相手と対峙する状況が、これから発生するわけだ。ふと思った。この法律を公布するには、天皇による署名及び公印の押印、いわゆる御名御璽が必要だが、天皇はどんな思いでその手続きをするのだろうか。終戦の日の式典で「さきの大戦に対する深い反省」と言明した天皇は忸怩たるものがこの公布文書を前によぎるのではないか。
 今回の安保法案成立への暴挙は、なぜ、なされたのか。それを国民はもっと遡って確認し、国民の判断の甘さも認め、反省し、この過ちを早々に改める行動をすべきだろう。安倍さんはずっと以前からこの機会を狙っていたのは周知の事実である。民主党政権の3年間にすっかり失望した国民は、自民党安倍政権の経済戦略3本の矢に大いに期待し、デフレ不況からの脱却に夢を託してしまった。そこに大きなワナがあると薄々知りながらも、景気回復を第一に国民は踊らされてしまったのだ。2012年の衆議院総選挙は民主党政権を圧倒する大差で自民党は政権に復帰した。この選挙戦においても、自民党は憲法改正案を出し、国防軍などと言っており、馬脚をすでに露わにしていたのである。そして、昨年2014年の消費税の再引き上げを遅らせることを争点とした口実の総選挙にも自民党は大きく議席を減らすこともなく第一党のままであった。この総選挙時は、すでに前年に特定秘密保護法が成立し、2014年7月には憲法の解釈をねじ曲げた集団的自衛権行使容認の閣議決定までしていた。こんな状況にもかかわらず国民は自民党の議席を維持させてしまったのである。野党として民主党の政権奪還意欲と能力の乏しさが最も直接的な原因ではあるが、国民の目も節穴だったとしか言いようがない。やはり、その国の政治のレベルは国民のレベルに比例すると言われるが、日本もそうなのだろう。
 しかし、この期に及び国民はやっと目覚めることができた。国会周辺のデモに若者たちが参集するようなことは、1970年までの学生運動以来のことであろう。法案成立を阻止することはできなかったが、現在の若者たちが行動することに意味があり、今後の国民全体の流れを変えていく原動力になっていくことを信じたい。一方で、日本国民の熱しやすく冷めやすい国民性が、どこまでこの気運を維持し、次の選挙へ正しく作用するかが問題だと思う。また、一強他弱状態にしないための選挙制度も変えていく必要もあるだろう。
 そして、政治家に何より大切なのは、この日本をいったいどういう国にしたいのか、という到達点の理想像を描く必要があることだ。経済政策や安保政策はいったい、何のために行うのか。国民の生活を守る、というレベルにとどまらない国として何を求めるべきか、世界の一員としてどういう役割を果たせばいいのかという国民が共感し、共有し得るテーマを示す義務と責任が政治家にはある。
 もし、集団的自衛権を行使し、自衛隊が米軍といっしょになって戦った結果は何が得られるのか。それは日本国民、世界の人々を真に幸福にすることにつながると保障できるのか。過去の戦争のすべては、何ひとつ幸福な結果などもたらすことはなかった。仮に、抑止効果が働いたとしても近隣諸国との緊張関係は増すばかりであり、真に幸福な社会が訪れることはあり得ない。これまで戦後70年を不安ながらも何とか維持してきた平和で幸福な日本国民の生活を砂上の楼閣とすれば、今後の生活は波に流される寸前の砂上の楼閣と言えるかもしれない。それでも、今のまともな若者たちに未来を託し、この日本と世界を理想の幸福な世界に導いてほしいと願わざるを得ない。
 
2015/09/17 16:30ごろ 参議院特別委員会 怒号の中、採決が強行された

安倍談話
2015/08/14(金)
 8月14日午後6時から、アジア諸国、世界が注目する中で、戦後70年における内閣総理大臣談話が公表された。内閣総理大臣という機関が発した公文書であり、関係諸国へ最低限の配慮をした内容であって、安倍晋三個人も共感して発している言葉ではない、と伝わってくるスピーチであり、言葉も詳細に見て行けば、安倍晋三個人は決して何も反省はしていないし、詫びてもいないのがわかる。
 いくつかの言葉を取り上げ、ケチを付けてみよう。
 「その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。」
 この「力の行使によって解決」とあるが、これは中国やロシアをけん制するときに安倍さんがよく使う「力による現状変更」というフレーズと酷似しており、真意としては過去の日本もそうだったが、今の中国やロシアも同じようなことをしているのだ、と言いたげだ。
 「日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。」
 この「挑戦」という言葉は、「平和への挑戦」などとよく使われるが、「挑戦者」となると、何だか勇気ある立派な行いをした者のように受け取られがちであり、せめて「無謀で愚かな挑戦をしていった。」とするのが妥当であろう。
 「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。」
 ここには以前の村山、小泉談話にある言葉を引用して、口に出して言っているだけであり、改めて、ここで「反省」と「お詫び」を今回、表明したわけではない。安倍さん自身の気持ちではない、とあからさまにしてしまった。
 「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。」
 従軍慰安婦のことに触れている内容だが、「従軍慰安婦」という言葉は使用せず、第三者的な目線からの表現にとどまり、日本軍、日本政府が関与し、日本国が彼女らを傷つけたことを言明してはいない。全くの他人事のような言い回しだ。
 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」
 日本軍が侵略した、という直接表現は回避しており、「侵略」という単語は「事変、侵略、戦争」とワンセットにしてオブラートにくるみ、ここ1箇所のみの使用だ。談話の後の形式的な質疑応答の中では、「どのような行為が侵略に当たるか否かについては、歴史家の議論に委ねるべきである」と従前の主張を繰り返したのには、いささか驚いた。
 「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」
 子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせない、というのは、自分たちの世代でケリを付けるという強い意思表示ではあるが、謝罪が今後も必要かどうかは相手次第の話であり、今、ケリがつけられるかどうかなど日本自身が判断すべきでない。

 「過去の談話を引き継ぐと言ってるのだから、それでいいじゃないか」と言っていたときよりはましではあるが、まあ、100点満点で10点程度だ。引用もせずに未来志向のことばかり言っていれば、零点どころか、マイナス100点といったところだ。少なくとも、与党公明党は合格点は出した内容であったのだろう。アメリカや中国は大人の反応をしていくかもしれないが、韓国、そして多くの日本国民は、この心の伴わないメッセージでは、おそらく心を強く打たれることは決してありえない。内閣総理大臣が安倍晋三である限り、中国、韓国との真の仲直りをすることはできない。過去の過ちを認め、その原因を検証、追及し続け、現在、及び未来へ正確に引き継いでいく行為は、決して過去にとらわれた自虐的な歴史観などではない。それは当たり前の人間的な行動規範であるべきであり、まともな軌道修正ができないリーダーは、やはり去ってもらうのがいいだろう。安倍さんは自らの墓穴を掘り進めてしまった。
 

安倍政権の落日
2015/06/18(木)
 安倍首相は今日の国会でこう述べた。「国際情勢にも目をつぶって従来の憲法解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄だ」「その時々の内閣が必要な自衛の措置とは何か考えるのは当然だ」と自信たっぷりに与党及び野党議員の質問に応えた。
 昨年閣議決定された解釈改憲の下での今国会への安保法制の法案提出は、先日4日に行われた衆議院憲法審査会での自民党及び野党推薦の憲法学者3人全員が「この法案は違憲だ」としたことが与党内に衝撃を走らせた。その後自民党は躍起となって、「砂川事件」の最高裁判決などを持ち出して集団的自衛権は合憲だと反論したが、長谷部氏ら憲法学者が「争点は、日米安全保障条約の合憲性であって、同条約は日本の個別的自衛権とアメリカの集団的自衛権の組み合わせで日本を防衛しようとするもので、日本が集団的自衛権を行使しうるか否かは全く裁判の争点になっていない」と切り捨てた。
 安倍首相は当初、憲法第96条からの改正に手を着けようとしていた。憲法第9条改正などは後回しにして、まず、衆参それぞれの3分の2以上の賛成で憲法改正を発議できる規定を過半数にしようとすることを選択した。しかし、これが姑息な手段だと批判され、引っ込めざるを得なくなり、「解釈改憲」に走ることになり、現在に至っている。最初のつまづきを回復するために、本末転倒の解釈改憲による集団的自衛権の行使容認をした関連法案を先に成立させてやろうとしているのだ。
 安倍さんの言い方は「今の憲法など何の意味もない。オレの判断が憲法なのだ」と言わんばかりのニュアンスで伝わってくる。追い込まれて最後にどう締めくくるかに、その人間の真価が問われる。毒づいて逆ギレするようなリーダーはこの日本には不要だ。安倍政権はここに至り、終焉を迎える段階に入ったと考えた方がよい。今私たちがなすべきことは、現状をよく理解し、徹底的に議論をした上で、衆議院を解散し、国民の判断を仰ぐのが筋ではないかと思う。安倍さんの独善、独裁への暴走を止めなければ、日本は元も子もなくなるだろう。

二度目の閣議決定
2015/05/14(木)
 去年7月1日の集団的自衛権は憲法の範囲内とする閣議決定に続き、集団的自衛権に係わる重要な安全保障法制関連法案を閣議決定したことを安倍首相は今日14日の記者会見で淡々と述べていた。去年の「解釈改憲」がホップとすれば、今回の「安保法制関連法案」はステップなのか。次の閣議決定は大いにジャンプして、「憲法改正発議案」を提出して三段跳びが成就することになるのだろうか。安倍さんの長い間の思いが着々と実現していくのは、本人にはきっと楽しくてたまらない快感なのだろう。
 安倍さんは9年前に書いた「美しい国へ」でこう書いている。
 「いまの日本国憲法は、この国連憲章ができたあとにつくられた。日本も自然権としての集団的自衛権を有していると考えるのは当然であろう。権利を有していれば行使できると考える国際社会の通念のなかで、権利はあるが行使できない、とする論理が、はたしていつまで通用するのだろうか。」
 安倍さんの論理は極めて単純明快でわかりやすい。確かに国連憲章第51条(自衛権)では、
 「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」としており、安倍さんが言っていることは間違いない。
 今回の法案はもちろん先日の訪米の際、米議会で約束したことを実行し、日本はいつでもどこでもアメリカが先に手を出した戦争の下請けを段階的にしていきますよ、というものだ。限定的などの言葉を鵜呑みにすることはできない。限定的という解釈は広がっていくのが世の常だ。
 すでに専守防衛を主体とした「武力攻撃事態法」を次の趣旨で改正していくことを含むことになる。
「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」
「我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない」
「必要最小限度の実力を行使する」
 これらの考え方はどうにでも拡大解釈できることは明らかである。実際の交戦状況が発生すれば、アメリカの指示に従がって動くしかないのだ。日本が直接攻撃を受けた場合以外には、日本自らが先に紛争に介入する判断をすることは考えられない。今回の閣議決定した法案は必ず国会を通過してしまうので、どう考えても、日本自ら戦争に誘い込むような事態を招き、中国やロシアなどを挑発、刺激していくことに間違いはない。少なくとも抑止効果よりも誘発効果の力が働いていくだろう。アメリカが共和党政権に戻れば気軽に中国やロシアに戦争を仕掛け、日本が代行することになっていくかもしれない。公明党はそんな事態もうすうす感じながらも与党にいることを選択し、国民の願いの砦を取っ払ってしまったことの責任は重大である。それにしてもマスコミや野党、その他反対する他の国会議員などは安倍さんをことごとく論破できる人間はいないのか。安倍さんだから危ういのだ。日本は再び禁断の園に足を踏み入れてしまったのだ。

4年と70年
2015/03/11(水)
 3.11から4年が経った。そして、今年8月には戦後70年となる。この4年と70年とに共通するものを感じている。それは消え行く「記憶」を残すべき時にきちんと「記録」しておかなかった責任と罪だ。だれに責任があるかといえば、最も大きな責任は当時の政府、政治家であり、その後を引き継いだ政府首脳者たちだ。4年前の東日本大震災では、特に福島第一原発事故の詳細な記録、会議録が存在していない。ただ概略を記したものしかない。現在では解明や解決困難であっても将来に引き継いでもらうためにもひとつも漏らさず記録し、取捨選択せずに残すことが必要だったのだ。当時の民主党政権の幼さでは何も判断などできなかった。また、現在の自民党政権では記録があっても生かそうとはしないだろう。だから、その意味を充分に理解し、意欲のある政権や政治家が現れるまで未来に託すべきなのだ。
 一方、戦後70年が経過し、あの戦争は何だったのかを日本政府自らが検証しないままに現在に至っている。同じ敗戦国でありながら、犯した罪を認め、しっかりと検証し、周辺国と和解、協調しながら発展し、敬意まで表せられながら歩んできた満点とは言わないまでも、まともな感覚を持った国、それはドイツ。東ドイツの出身でありながら現在のドイツをけん引してきたメルケル首相にやんわりと苦言を呈されるなどあまりに未熟なまま70年を迎えてしまいそうな日本国だ。自国の重要な節目に、やるべきことをやらずに、自分の思い込みだけで過去も現在もやり過ごし、物理的な復興や経済成長のみを追い求め、他人を思いやる心を見失ってしまった日本政府に未来を語る資格はない。危うい日本の現在、近未来を多くの国々と日本国民自身が注視している。

表現の自由とテロ
2015/01/14(水)
  今月フランス、パリで起きた一連の銃撃テロ事件は多くの犠牲者を出した。特に イスラム教を風刺する漫画を掲載したシャルリエブドという週刊誌編集部への襲撃 では編集者、漫画家など12人の犠牲者を出す惨劇となった。いかなる表現に対しても暴力・武力による反対の意思表示は許されない。表現の自由というのは人が人らしく存在していくことの基本であり、絶対に犯されてはな らない自由の根本である、そのことに全く異議はない。
 しかし、一方で、宗教・思想・信条の自由も保障されねばならない。その宗教なり考え方がいかに他者からは愚かで無知に映ったとしても、他の宗教や他の人々の自由を害しない限り、最大限に許容すべきことだろう。今回、襲撃を受けた週刊誌 はイスラム教を過度に揶揄し、侮辱したとされる意見が多い。風刺やウィット、ユーモアが通じる他者であれば問題はないが、その風刺などが自分たちの存在意義そのものを否定されたと感じる人々がいるのであれば、そこはある程度慎むのはごく当たり前のことではないか。そこに「表現の自由」という西洋的民主主義の価値観を押し付けている不遜で傲慢な西洋人の独りよがりを感じてしまう私日本人がいる。
 パリで欧州や賛同した多くの国の首脳たちが「表現の自由を守る」「テロには屈しない」とデモ行進を大規模に行ったが、それが本当に解決の道へつながるのだろうか。
 もともと植民地支配で繁栄を築いてきた欧州やアメリカは自分たちが作りあげた「資本主義による民主主義という理想」の統治形態を過信してきたのではないか。人類という厄介な存在がいかなる形態の統治が幸福なのかは、まだまだ模索中であって、正しい答えなど見つかっていないというのが現状だろう。
 まずは、欧州では謙虚で冷静に対応し、暴力に対しては、暴力による復讐、応酬をしてはならないこと。ユーロ圏では移民政策が失敗し、多くのイスラム系移民が格差を感じているが、まず、必要なのは隅々までの人々に基礎教育を施し、職業選択の機会を増やすことが重要なのではないか。移民した一世は貧しくても、教育を受けた子どもはより収入を得られる職に就くことができる自由が保障されることが、まずは第一歩なのだろう。貧困が子どもや孫に続く世の中では、先細りするばかりで何も新たにには生まれることはない。
 異なる考え方を素直に受け入れることに躊躇しない。反対ではあっても、お互いに暴力、武力に訴えることはまず止めて話し合い、少しでも理解を深め、お互い我慢する妥協も必要だろう。他人と生活するうえのそんな当たり前の知恵をもっと身に着けておきたい、個人も国も。

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