中国という国は、欧米列強及び日本にとって魅力的なものであった。なかでも租界のあった上海では、さまざまな国や人々の欲望が渦巻く国際都市となっていた。日本は、昭和6年に満州事変を起こし、昭和9年3月には満州国の執政溥儀を皇帝とする満州帝国を築き、昭和11年2月2.26事件、昭和12年12月南京大虐殺事件と次第に軍部の力が支配的になっていく。
 昭和16年という年は、アメリカからの石油の輸入も止められ、外交と軍部のせめぎあいの中で結局は後戻りのできない悪魔の選択をしていく日本があった。

 そのころ父は、上海か南京で日本の行く末がどうなるとか、なぜここに駐留しているのかとかを知らされず、ある意味ではまだ気楽なままの世界にいたのではないか。中国侵略という歴史的な事象の渦中にいると、それをリアルタイムで客観的に見ることは難しい。父は善良で何も知らない兵士であったのだろうか。

 街の様子を写したこれらの写真は、単なるスナップというよりも、やはり、異常な状況下にあった当時の中国の様子を伝えている。父はものめずらしさと異常さの区分が混沌としたままシャッターを切っていたのではないか。いずれにしても、父は写真を残したのだ。その写真の中に父が感じたもの、残したかったものを探っていきたい。


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